kimamerのブログ

Mr.Childrenの歌詞について考えるブログです。「気まま」に読んでください。

Mr.Children歌詞考察 vol.3 「himawari」(映画「君の膵臓をたべたい」とあわせて)

どうもみなさん、こんにちは。前回の投稿から一年もたってしまいました。サボり癖があることはいけないことですね、直していかなければなりません。

さて今回は、「himawari」という曲の歌詞の考察をしていきたいと思います。

この曲は2017年公開の映画「君の膵臓をたべたい」の主題歌として使われました。甘い青春を描いた映画ですが、タイトルからその不気味さがにじみ出ているように、単純な恋愛、青春映画とはなっていないようです。まだご覧になっていない方は、映画を見てからもう一度この曲を聴いて頂きたいと思います。きっとより一層歌詞の深さが感じられることでしょう。この曲が映画のタイアップを目的に作られたということから、今回は映画を見たという前提で、そのシーンになぞらえたりもしながら、考察をしていきたいと思います。

 

では、まずは1番から。

 

「優しさの死に化粧で 笑ってるように見せてる

 君の覚悟が分かりすぎるから 僕はそっと手を振るだけ

 ありがとうもさよならも 僕らにはもういらない

 『全部嘘だよ』そう言って笑う 君をまだ期待してるから」

 

まず「himawari」全体として、「僕」(演じているのは北村匠海さん)の目線から「桜良」(浜辺美波さん)に対する思いが描かれています。なので、その目線を維持しながら考察を進めていきます。

私は最初のフレーズに、映画の全体の情景が詰まっているように感じてなりません。映画の中で、病気を抱える「桜良」が「僕」に気を遣わせまいと、不安を隠しながら常に笑顔で振る舞っている、しかしその笑顔は不安を拭いきれておらず、ただそうみえるように取り繕った死に化粧のようだ。でもそれに気づいているから「僕」はあえて何も言わず手を振るだけ。映画の全体を短いフレーズで表現してしまう桜井さんはさすがの一言に尽きます。続く歌詞でも「桜良」への期待が表現されています。ありきたりな挨拶を「僕」は欲していない。病気だということ、先が長くないこと、それを嘘だと言ってくれる「桜良」こそが「僕」を救う唯一の手であり、まだそれを期待しているんだから。はかない命の尊さを考えさせられる部分でもありますね。

 

 

続いてサビ。

 

「いつも透き通るほどまっすぐに 明日へこぎ出す君を見て

 まぶしくてきれいで 苦しくなる

 暗がりで咲いてるひまわり 嵐が去ったあとの日だまり

 そんな君に僕は恋してた」

 

サビでは「僕」の「桜良」に対するストレートな思いが描かれています。「桜良」はよどんだり、影のあるところに明るさをもたらすことのできる女の子だったのでしょう。私は、このサビの醍醐味は「苦しくなる」という表現にあると思います。自分の恋人がまっすぐ未来に進もうとしている姿を見て思うことは何でしょうか?普通なら「そんな頑張れてうらやましい」「すごいなあ」「自分も頑張らなきゃ」など、プラスの感情を抱くはずで、少なくとも「苦しい」という感情ではないはずです。ではなぜ「僕」は苦しいと感じたのか。それは、自分の生き方の悲観的さに呆れたことからの苦しみ、そして何よりもこんなに輝いている人の命が長くないこと、そして「桜良」は「僕」に元気な姿を見せているけれど、ほんとは不安であることを「僕」が知ってしまっているからだと思います。2人がお互いに気を遣い合っていることが、1番の歌詞から読み取れるのではないでしょうか。

 

続いて2番のサビまで。

 

「思い出の角砂糖を 涙が溶かしちゃわぬように

 僕の命と共に尽きるように ちょっとずつ舐めて生きるから」

 

ここも秀逸な表現で、「僕」の「桜良」への思いが綴られています。大切な人との思い出を少しずつ味わっていけば、失った悲しみを最小限にできるだろう、という「僕」の多少やっつけにも感じる考えは、「桜良」の命の終わりが近づいていることへ焦りや不安の暗示なのかもしれません。

 

 

続いてサビ。

 

「だけどなぜだろう怖いもの見たさで 愛にさまよう僕もいる

 君のいない世界って どんな色をしてたろう?

 違う誰かの肌触り かっこつけたりはにかんだり

 そんな僕が果たしているのだろうか」

 

「僕」は「桜良」に気を遣ってか、恋心を抱いてはいけないと感じているのでしょう。だけどその思いは抑えられず、もはや恋をする前の自分なんて思い出せずにいる。「桜良」とは別の人と恋に落ちる自分を想像してはみるけれども、やはり考えにくい。この部分は「僕」が「桜良」に対して深い愛情を持っていることが伝わりますね。恋は盲目という言葉があるように、「僕」は今の状態しかみえていないからこんなことを思っているのかもしれませんが、恋とは、最初はそんなつもりじゃなくても知らぬ間にどっぷり相手への愛情に浸かっていた、そんなものじゃないかなと思います。「僕」もいつの間にか「桜良」の魅力に深く引き込まれていったのでしょう。

 

 

次はCメロ。

 

「諦めること 妥協すること 誰かに合わせて生きること

 考えている風でいて 実はそんなに深く考えてやしないこと

 思いを飲み込む美学と 自分を言いくるめて

 実際は面倒くさいことから 逃げるようにして邪にただ生きてる」

 

この部分は、映画と関係しているというよりはラスサビの布石と考えた方が良いのかもしれません。しかし、このように生きている人は多いのではないでしょうか?自分の理想や目標、自分らしさを失って、他人や環境に迎合するだけの生活を送り、面倒なことがあれば真っ向から立ち向かうのではなく妥協を重ねて、それを正当化して。人間は誰しも弱いものであるからこそ、強い人が目立つのです。だからといって、自分が強いものになれない保障はどこにもありません。だから我々は日々を強く生きていかなければならないのだと思います。

 

 

続いてラスサビ。

 

「だから透き通るほどまっすぐに 明日へこぎ出す君を見て

 まぶしくてきれいで 苦しくなる

 暗がりで咲いてるひまわり 嵐が去った後の日だまり

 そんな君に僕は恋してた そんな君を僕はずっと…」

 

全体は1番のサビとほぼ同じですが、違うのは冒頭の「だから」と最後の「そんな君を僕はずっと…」という部分です。「だから」の部分はCメロの部分を踏まえています。自分に強く生きられない人が多いからこそ、未来に悲観せず明るく生きる「桜良」を見て「僕」はまた苦しくなるのです。また、ラスサビで最も注目すべきは最後の部分です。「そんな君を僕はずっと」何なのか?「愛してる」なのか「忘れない」なのか。最後の解釈がリスナーに委ねられているところが、非常に面白い部分です。映画では、思いもよらないラストが待っています。きっと「僕」も心の整理がつかなかったでしょう。もしかしたら、そんな「僕」の気持ちの揺れ動きを「…」で表現したのかもしれませんね。

 

以上、「himawari」の歌詞考察を行ってきました。映画のタイアップ曲とはいえ、愛とは何かを考えさせられるナンバーになっているのではないでしょうか。是非映画も見て、曲もたくさん聴いて頂ければと思います。それでは今日はこのへんで。

 


Mr.Children「himawari」from TOUR 2017 Thanksgiving 25