kimamerのブログ

Mr.Childrenの歌詞について考えるブログです。「気まま」に読んでください。

Mr. Children歌詞考察 vol.11 「Everything (it's you)」

皆さんこんにちは。お久しぶりとなりました。今回はEverything (it's you)の歌詞について考えてみましょう。

この曲は1997年に発表され、ミリオンセラーを達成するわけですが、94年のCross Roadを皮切りに、ミスチルが発表する曲がミリオンを連発するいわゆる「ミスチル現象」の真っただ中に発表されたものになります。

ボーカルの桜井さんは、スターダムをかけあがるスピードがあまりに速かったため、バブル的に人気が過熱して、いつかはそれがはじけ飛んでしまうと思っていた、という見方もあります(実際に2017年の25周年ライブでも、「どうせどこかに行ってしまうと思っていたファンの皆さんがこうして集まってくれることはうれしい」と言っていました)。

私は、この曲はそんな桜井和寿さんが主語で、彼の気持ちがもろに表れていると感じています。今回は、桜井さんの目線に立って歌詞を考えていこうと思います。

 

「世間知らずだった少年時代から 自分だけを信じてきたけど

 心ある人の支えの中で なんとか生きてる今の僕で

 弱音さらしたり 愚痴をこぼしたり 人の痛みを見てみないふりをして」

 

少年時代とは、デビューをした当時とも考えられますね。当初から天才と称され、桜井さんは自分の才能によって曲が生まれ、Mr.Childrenとしてやっていけているんだ、と感じていた時期もあったが、実際はそれを支えてくれるメンバーや周りの人々の支えがあって「なんとか」やっていけているということを認識したのでしょう。そうしたギリギリやっている、という環境では人の気持ちを十分に考えられなかった時もあるのかもしれません。

 

「幸せすぎて 大切なことがわかりづらくなった今だから

 歌う言葉さえも見つからぬまま 時間に追われ途方にくれる」

 

富や名声を手にし、それ自体は目指してきたことでありながらも本当に求めるものは何なのか?という葛藤が垣間見えます。「歌う言葉さえも見つからぬ」というのは桜井さんにとって、仕事がままなっていないということですから、幸せすぎることでインスピレーションがわきにくくなっていたのでしょうね。

 

「愛すべき人よ 君も同じように 苦しみに似た思いを抱いてるの?」

 

愛すべき人、という第二の登場人物が出てきましたが、自分が好きな人に同じ気持ちを持っていてほしいという願いが見えますね。

 

「Stay 何を犠牲にしても守るべきものがあるとして

 僕にとって今君が それにあたると思うんだよ」

 

愛すべき人というのは、だれなのか。女性をイメージしているように思えますね。

 

「夢追い人は旅路の果てで 一体なにを手にするんだろう

 嘘や矛盾を両手に抱え それも人だよと 悟れるの?」

 

夢追い人=桜井和寿、でしょう。スターになる中で汚れた世界をたくさん見ることになり、それでも人前に立つ人間としてそうした事実を受け入れられるのか?それも必要な能力なのか?と自分自身に問いかけているように見えます。あるいは、そんなことできないよ、という反語に近い気持ちかもしれませんが。

 

「愛すべき人よ 君に会いたい 例えばこれが恋とは違っても」

 

恋と違うとはどういう意味なのか、というところですがこれは「恋のような燃え上がる感情はもうなくても」という意味で、長く連れ添った人をイメージしているのではないでしょうか。ただ、ここはなかなかはっきりとしない部分だと思います。

 

「Stay 僕が落ちぶれたら 迷わず古い荷物を捨て

 君は新しいドアを開けて進めばいいんだよ」

 

僕=桜井さんで、今のようにバンドとして売れず立ち行かなくなったら、僕のことは見捨てていいから、次の人を探しなよ、という優しさと「どうせ皆離れていってしまうんだ」という一種の諦念も感じられますね。一番もそうですがこの「Stay」というのは「ここにいて」という命令形の使い方と捉えるのが妥当でしょう。ここにいてほしいと願う中で、もしだめになったら離れてもいいよ、という相反する二つの気持ちが交錯していますね。

 

「Stay 何を犠牲にしても 手にしたいものがあるとして

 それを僕と思うのなら もう君の好きなようにして

 自分を犠牲にしてもいつでも 守るべきものはただひとつ

 君なんだよ いつでも 君なんだよ」

 

自分がダメになったら次を探してね、といったのにそれでも一緒にいたいっていうならもう好きにして、という投げやりな風にも思えますがそのすぐあとで、自分はいつでも君を求めているという帰結になっています。一番のサビでは君が「それにあたると思う」という表現だったのが、「君なんだ」と強い言葉に変わっていることも、覚悟の違いを表しています。

 

この曲は不倫の歌だ、という解釈もあるようですが、私は桜井和寿という人間が、モンスターバンドの成功の中で抱えていた葛藤をむき出しにした曲だと思います。YouTubeにもいくつかアップロードされているので、ぜひ確認してみてください。

 


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Mr.Children歌詞考察 vol.10 「Hero」

みなさんこんにちは。Kimamerです。最近寒くなってきましたが、みなさんいかがですか?体調にはくれぐれも気をつけて、Mr.Childrenに元気をもらいましょう。

さて今回は「Hero」という曲について考えて見たいと思います。

タイトルとしてはよくあるもの。彼らはどんな曲へと作り上げたのか。

1番からです。

 

 

 

「例えば誰か一人の命と 引き替えに世界を救えるとして

 僕は誰かが名乗り出るのを 待っているだけの男だ」

 

「世界平和」「争いのない世界」よく聞くフレーズですよね。あるいはこんなに壮大ではなくとも、「言語の壁がない世界」「ほしいものはなんでも手に入る世界」のような理想郷をイメージすることは多いかと思います。では皆が望むその世界が自分ひとりの命と交換で叶えられるとしたら、何人の人がこの交渉を受け入れるのでしょう。おそらくほとんどの人は自分は嫌だと言うでしょう。昔リーガルハイという堺雅人さん主演のドラマで、死刑に関してこんなセリフがありました。「人は犯罪者を死刑にしろと言うけれど、実際は自分の見えないところで誰かが闇に葬り去ってくれるのをただ待つだけだ」と。理想の裏にある犠牲を、自分は被りたくないのですね。実際に命を差し出すことはないにせよ、それくらいの覚悟と勇気をもった人間になりたいものです。

 

 

 

「愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ」

 

なぜ自分は犠牲になれないのか?それは守るべきものがあるからだ。それによって、大きく行動できない自分になってしまった。普段もよく感じる気持ちです。

ではサビ。

 

 

 

「小さい頃に身振り手振りを 真似て見せた

 憧れになろうだなんて 大それた気持ちはない

 でもHeroになりたい ただ一人君にとっての

 つまずいたり転んだりするようなら そっと手をさしのべるよ」

 

Heroとは何を表すのでしょう。ただ身近な人にとって大切な人でありたい。その人をすぐに助けられる人でいたい。あるいはそのような場所にいたい。色々な定義が出てきそうです。ただひとつ言えるのは、Heroという言葉ほどかっこよくて大きなものである必要はない、ということでしょうか。

続きます。

 

 

 

「だめな映画を盛り上げるために 簡単に命が捨てられていく

 違う 僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ

 僕の手を握る少し小さな手 すっと胸の淀みを溶かしていくんだ」

 

「だめな映画」=行き着く先で人々が幸せになれないもの、と解釈しました。つまりそれは、戦争、いじめ、○○ハラスメントなどでしょうか。つまらないオチにたどり着くためだけに途中で何人が犠牲になればいいのか。今の我々の社会問題とリンクするところが大いにありますね。

 

 

 

「人生をフルコースで深く 味わうための

 いくつものスパイスが 誰もに用意されていて

 時には苦かったり 渋く思うこともあるだろう

 そして最後のデザートを笑って食べる 君のそばに 僕はいたい」

 

改めて、Heroとは何でしょうか。1番では紆余曲折のある人生、困ったときに手をさしのべられる存在でいたいということが言われていました。ここでは、そうやって二人支え合う最後の目的は、人生が終わりに近づいたとき、今までの味=経験を振り返ったり、感想を言い合ったりして笑い、なおかつ残り少ない時間も楽しんでいる姿を隣で見ることだという、大きなHero像が描かれている気がします。

 

 

 

「残酷に過ぎる時間の中で きっと十分に僕も大人になったんだ

 悲しくはない 切なさもない

 ただこうして繰り返されてきたことが

 そうこうして繰り返してくことが 嬉しい 愛しい」

 

この部分の解釈はこのようだと思います。時間の流れは早く、色んな意味で大人になったけれど、(親や先人など、今までの人が)繰り返し紡いで作り上げてきた世界で、(次は自分たちが主役となって)繰り返していく(=次の世代へ繋げていく)ことが嬉しい、と。今までは小さな二人というイメージで描かれていましたが、その一つ一つが世界を作る重要な要素だと、視点が変わっています。Heroという言葉の主役感がこういった形で現れるとは。さすがです。

 

 

 

「ずっとHeroでありたい ただ一人君にとっての

 ちっとも謎めいてないし 今更もう秘密はない

 でもHeroになりたい ただ一人君にとっての

 つまずいたり転んだりするようなら そっと手をさしのべるよ」

 

どんなに小さな存在でもいいから、誰かのそばでそっと添い遂げられること、それが究極のHeroの姿だということがここから見て取れると思います。

 

今日は「Hero」という曲について考えてみました。歌詞自体が哲学ぽいので心なしか解釈も小難しくなってしまったように思いますが、今回も最後までお読み頂きありがとうございました。

 

以下に動画リンクもあるので、是非聞いてみてください。

これは桜井さんがライブで唯一泣いたと言われている動画です。

この前に、幼い頃からずっと憧れだった浜田省吾さんと共演をはたし感極まったのでしょう。浜田さんは紛れもなくHeroだったのでしょうね。

 


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Mr.Children歌詞考察 vol.9 「未来」

みなさん、こんにちは。Kimamerです。今日は「未来」という曲の歌詞を見ていきたいと思います。ポカリスエットのCM曲としても採用されたこの曲は聞いたことがある方も多いかもしれません。では早速いきましょう。まず1番から。

 

 

「名前もない路上でヒッチハイクしている 膝を抱えて待ってる

 ここは荒れ果てていて人の気配はないし 誰もここを通らないや

 進入禁止だってあらゆるもの拒絶して 追い払ったのは僕だから

 誰も迎えに来ない ちゃんと分かってるって だけどもう少し待ってたい」

 

皆さんはヒッチハイクをしたことはありますか?私はありませんが、経験した友人から話をきくと、人との出会いがあって自分の道がパッと開ける感じがすると言っていました。ここでもヒッチハイク=未来への期待、人生の異なる場所へ運んでくれるもの」ということを暗示していると思います。膝を抱え待つけども一向に新たな道は開けない、それどころかそのチャンス(=車)もこない。でもそもそもチャンスがこないような保守的な生き方を決めたのは自分だったな。それもわかるけど、もう少し希望は持っていたい、といった感じでしょうか。では続きます。

 

 

「生きてる理由なんてない だけど死にたくもない

 こうして今日をやりすごしてる」

 

毎日たくさんの刺激を感じながら生きることは難しいですよね。何のために生きてるのか、と考えるときもたまには。ではサビです。

 

 

「生まれたての僕らの前にはただ 果てしない未来があって

 それを信じてれば 何も恐れずにいられた

 そして今僕の目の前に横たわる 先の知れた未来を

 信じたくなくて 目を閉じて過ごしている」

 

年を取るにつれて未来への想いは薄れていくような気がします。小学生などの子どもは総理大臣やサッカー選手など大きな夢を語る一方で、大学生にもなればほとんどの人は大きな夢を持たず、ある程度先を見据えて「安定した」道を選ぶようになるでしょう。1番悲しいなと思うのは、やりたいことがあるけれどもどうにかその気持ちにふたをして、今やっていることが自分の人生に与えられた役目だと思い込むことです。たしかに全ての人が望み通りに夢を叶えることはできないでしょう。ただ、自分の未来を「先が知れた」ものと思い込んでいると、その道しかなくなるのは事実です。小さなことでも目標を、もっと楽しいと思えることを探す気持ちは忘れてはいけないな、と思います。

続いて2番。

 

 

「女が運転する車が止まって 『乗せてあげる』と言った

 僕は感謝を告げて 車のドアを開いて 助手席に座ってまた礼を言う

 しばらくすると僕は硬いシートに居心地が悪くなって

 女の話に相づち打つのも嫌になって 眠ったふりした」

 

まずは車が通ってよかったですね。このシーンは、新しい道に進んだはいいけれど、自分の手が及ばない部分で起こるものに居心地の悪さを感じ、楽しめていない状況を表していると思います。シートの硬さ、ドライバーがおしゃべりかどうか、会話の内容は自分にとって楽しいものかどうか、これらは自分で決められることではありません。でもこれに嫌気がさし、彼は眠ったふりをし、ヒッチハイクでの醍醐味の車内の会話を放棄してしまったのです。学校で新しい学年になったとき、就職したとき、結婚したとき、環境が変われば今までになかったことがたくさん起こるようになります。でもそれを嫌だと避けているようではその先にある楽しさは享受できないんですよね。新しいことにチャレンジするときは、ある程度流れに身を任せてなんでも受け入れようという姿勢が大事なのかも知れません。次第に体は慣れ、楽しくもなってくるでしょう。

 

 

「僕らは予定通りの コースを走ってきた 少なくとも今日まで」

 

今日までと今日からは同じではありません。自分を変えるなら今日。自戒としてもう一度意識したいところです。ではサビです。

 

 

「出会った日の僕らの前にはただ 美しい予感があって

 それを信じたまま 甘い恋をしていられた

 そして今音も立てず忍び寄る この別れの予感を

 信じたくなくて 光を探している」

 

一気に恋愛ソングぽくなりました。未来は永遠のものと思ってしまいがちですよね。ただこれも時間が経つにつれて、いつまでこの時間は続くのだろうと思うことも増えてきます。いつか来る終わりを意識することで、なんともない日常が大事に思えてくるようになる気がします。ではラスト。

 

 

「生まれたての僕らの前にはただ 果てしない未来があって

 それを信じてれば 何も恐れずにいられた

 そして今僕の目の前に横たわる 先の知れた未来を

 信じたくなくて 目を閉じて過ごしている

 そして今僕の目の前に横たわる 先の知れた未来を

 変えてみせると この胸に刻みつけるよ

 自分を信じたなら ほら未来が動き出す 

 ヒッチハイクをしてる 僕を迎えに行こう」

 

自分を信じることは不安だらけの新たな道に進む上で最も重要だと思います。あとはそうと決めたら動ける行動力。そんなことを教えてくれる曲ですね。

 

 

「未来」という曲、いかがでしたか。背中を後押ししてくれるような曲かと思いきや、ベースにあるのは「ほとんどの人は未来に希望を持っていない」という事実。未来は決まっている、というところから取られたタイトルでした。前回のWorlds endは暗いタイトルながら明るい中身、未来は明るいタイトルながら暗い中身、とコントラストができるのもミスターチルドレンの面白いところですよね。

 

では今回はこのあたりで。最後まで読んで頂きありがとうございました。

 


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Mr.Children歌詞考察 vol.8 「Worlds end」

みなさんこんばんは。Kimamerです。前回の投稿からまたかなりあいてしまいましたが、今後はもう少し頑張って続けていければと思います。

 

さて、今回は「Worlds end」という曲を考えてみたいと思います。

一番下にリンクも貼っているので、ぜひ実際に聞いてみてくださいね。

 

では早速いきましょう。1番のAメロ、Bメロからです。

 

 

「ゆっくり旋回してきた大型の旅客機が 僕らの真上で得意げに

 太陽に覆い被さって その分厚い雲を難なく突き破って消える

 まるで流れ星にするように 僕らは見上げてた

 思い思いの願いを その翼に重ねて」

 

飛行機が上昇しているシーンなのでしょうね。「得意げに」という表現が面白いですね。空を飛ぶ鉄の唯一の物体、それが飛行機(旅客機)なので大空を独り占めしているように見えた、ということなのでしょうか。その壮大な姿に何かの希望を感じている。私も、大人になった今でも飛行機が飛んでいるのを見つけるとなぜか見てしまいます。そこに物珍しさを超えて、少し希望を預けてしまっているのかもしれません。

 

では続きます。

 

 

「『何に縛られるでもなく僕らはどこへでも行ける

 そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って』

 行き止まりの壁の前で 何度も言い聞かせてみる

 雲の合間一筋の光が差し込んでくる映像と君を浮かべて」

 

先程の飛行機のシーンと、この歌の目指すところがシンクロし始めました。壁にぶつかった時は、うまくいったらどうかを考えることは重要ですよね。まっすぐな太陽の光が入ってくるという比喩と、誰かのためにがんばろうという気持ちがこの歌詞から感じられます。では2番。

 

 

「捨てるのに胸が痛んで取っておいたケーキを 結局腐らせて捨てる

 分かってる期限付きなんだろう たいていは何でも

 永遠が聞いて呆れる」

 

私は「ケーキ=過去の栄光」だと思いました。昔うまくいったことにすがりついて、なかなか新しいことを始められない。でも時間が経てば昔のことももはや役に立たず、結局捨てて新しいことを始めるしかない。すべてには有効期間がある、と。これは一人の人としても感じられますが、組織や国というもっと大きな集団ではよりわかりやすく感じられるのではないでしょうか。昔からやってきたから、これでうまくいってきたから、という理由だけでやっていると、そのうち有効期限が切れて価値がなくなる。この有効期限がいつまでなのか、というところに自分なりの意見がないと、いずれは流されてしまうのでしょう。気をつけなければ。。

 

 

「僕らはきっと試されてる どれくらいの強さで

 明日を信じていけるのかを 多分そうだよ」

 

明日を信じる=今の自分を超えるなにかをする、つまり新しい何かを受け入れるということなのではないでしょうか。理由は有効期限が切れるときがいずれ来るから。ただ、「きっと」や「多分そうだよ」という表現ですこし迷いが見られますね。行動が勇ましければ勇ましいほど、迷い、ためらい、不安は増えますよね。新しいものにチャレンジするには、この迷いを受け入れる覚悟が1番重要なのかもしれません。

 

 

「飲み込んではき出すだけの 単純作業繰り返す

 自動販売機みたいに この街にぼーっと突っ立って

 そこにあることで誰かが 特別喜ぶでもない

 でも僕が放つ明かりで 君の足元を照らしてみせるよ

 きっと きっと」

 

飲み物を補充して、ボタンが押されればそれが出てくるという自動販売機の仕組みをこれまでに秀逸に表現した人はいるでしょうか。単純作業の代名詞として自動販売機を選んだことも感動ものですね。歌詞をみると、そこらじゅうにあるありふれたものだから特別感謝されるものではないけれど、そこにある確かな明かりは誰かを照らしている、と。華のある生き方、その人自身にとてつもない価値がある人を見ると、自分はちっぽけな人間だなあと思うことがよくあります。それでも自分のもつ個性が、誰かの励ましになったり役立ったりしているんだということを教えてくれています。

 

 

「『誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける

 そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って』

 暗闇に包まれた時 何度も言い聞かせてみる

 今僕が放つ明かりが 君の足元を照らすよ

 何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている

 どんな世界の果てへも この確かな想いを連れて」

 

何かを頑張っていると壁にぶつかることもある。そのときは、どこへでも行けるんだと唱える。さらにうまくいかず自分のふがいなさを感じるときは、自分が持つ明かりは近くの誰かを照らすものだと考える。生きていく上で様々な挑戦を避けられない我々にとって、そこを生き抜く術を教えてもらっているようです。初志貫徹という言葉はあまりに有名ですが、叶えられる人が少ないのもまた明らかでしょう。その原因は困難にぶつかったときの対応にあるのではと思います。自分に希望を持ち続け、次への活力にする。そのために必要なのは「まだまだやれる、自分には価値がある」と自己肯定感を高めることなのではないでしょうか。

 

 

 

今回の「Worlds end」という曲、タイトルからは暗めの曲と想像されたかもしれませんが、私は「世界の終わり」はない、というメッセージがここに込められていると思います。毎日いいことばかりではありませんが、自分に少しだけでも希望を持って、がんばりましょう。

 

では今回はこの辺で。最後までお読み頂きありがとうございました。

 


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Mr.Children歌詞考察 vol.7 「GIFT」


GIFT Mr.Children

どうもみなさんこんにちは。前回の投稿から5日が経ちました。

今回は知っている人も多いであろう、「GIFT」という曲について考察してみたいと思います。この曲は2007年のアテネ五輪の応援ソングとしても採用され、人々を勇気づけるような表現が多くあります。

Mr.Childrenは私たちにどんな「GIFT」をくれるのか、さっそく中身を見ていきたいと思います。

 

まずは1番から。

 

「一番きれいな色って何だろう 一番光ってるものって何だろう

 僕は探してた最高のGIFTを 君が喜んだ姿をイメージしながら」

 

早速ほっこりするような言葉が並んでいますね。誰かが一番喜んでくれるGIFTは何なのか。その答えは続きにあるのでしょうか。続きを見ていきます。

 

 

「本当の自分を見つけたいって言うけど 生まれた意味を知りたいって言うけど

 僕の両手がそれを渡すとき ふと謎が解けるといいな

 受け取ってくれるかな

 長い間君に渡したくて 強く握りしめていたから 

 もうグシャグシャになって 色は変わり果て

 お世辞にもきれいとは言えないけど」

 

本当の自分ってなに?といった本質的なことに悩む人に向けて、ずっと渡せずにいて汚れてしまった「GIFT」を渡したい。この部分で私は勝手に、「GIFT」=「思いをしたためた手紙」と解釈してしまいましたが、もしかすると手紙のように目に見えるものではないのかもしれません。「そんなことは誰にもわからないよ」という言葉なのかもしれない。それは、その言葉を発するまでに様々な葛藤や悩みを抱えていたという点できれい(=純粋)ではないと言えるのではないでしょうか。

 

 

では続きです。

 

 

「白か黒で答えろという難題を突き付けられ ぶち当たった壁の前で

 僕らはまた迷っている 迷ってるけど

 白と黒のその間に無限の色が広がってる

 君に似合う色探して 優しい名前をつけたなら

 ほら 一番きれいな色 今君に送るよ」

 

この部分で人々の憂いは一つ解消されたのではないでしょうか。白か黒か、優れているか劣っているか、目に見えるか見えないか、など二項対立的な発想ではなく、その間にあるすべてのものが価値を持っているということを発信しているのだと思います。現代では学歴や家柄、年収などの杓子定規で人々を計り、その人の価値を決定しようという流れ(通例)があると思いますが、そんなものでは根源的な人間の価値は計れないはずです。もちろんそれらの存在が全く無価値だとは思いませんが、それだけに傾倒した考えを持たず、多様性を尊重できる人間になりたいものです。

 

 

2番です。

 

 

「地平線の先にたどり着いても 新しい地平線が広がるだけ

 もうやめにしようか? 自分の胸に聞くと

 まだ歩き続けたい と返事が聞こえたよ

 知らぬ間に増えてった荷物も まだなんとか背負っていけるから

 君の分まで持つよ だからそばにいてよ

 それだけで心は軽くなる」

 

ここはテーマである「GIFT」が、「大切な人」であるというように解釈できると思います。ここでは地平線が終わりのないものとして挙げられていますが、そんな長い旅路を進み続けたいという気持ちにさせてくれるのは、心を軽くしてくれる人の存在だ、というのです。即ち、そんな人の存在こそが自分にとっての「GIFT」であると解釈できます。確かに、普段はありがたみを感じていなくても、大切な人を失った瞬間に何も手につかなくなるというのもありますし、身近な人の存在は非常に大きいのかもしれませんね。

 

 

続きです。

 

 

「果てしない旅路の果てに 選ばれる者とは誰?

 たとえ僕じゃなくたって それでもまた走っていく 走っていくよ

 降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって

 そのすべてが意味を持って 互いを讃えているのなら

 もうどんな場所にいても 光を感じれるよ」

 

ここでも力強く励まされるような言葉があります。日差しと日陰、つまり光と影は互いに背反で対立しているものではなく、片方でも欠けると存在しえない、相互補完的な概念である。言われてみればわかるけれど、なかなか意識できないんですよね。やっぱり結果だけを見て(=白か黒かだけを見て)判断してしまう。勝った人だけが輝いて見える。もちろん勝った人は輝いているんですが、負けた人が輝いていないわけではない。ここでさらに、Mr.Childrenは我々にもう一つのメッセージを突き付けます。それは、光と影が互いを讃え合うのならばどこでも光を感じられる、という部分です。光=勝った人、影=負けた人として話を進めると、影が光を讃えるという構図は割と想定しやすいですが、その逆はなかなかできたものではありません。どうしても、勝った=自分の方が優れている(これも上記でいう「二項対立的な発想」)と思い込んで、相手を本心から(同じ目線に立って)讃えるまでは及ばないのではないでしょうか。世の中は勝つか負けるかだけではない。光と影だけではない。白か黒だけではない。互いが互いを尊重し合うことで初めて白と黒の間の色が出てくる。その色の出現が、多くの人が光や希望を感じられ、輝ける場所を手にするきっかけになるのだろう。そしてそれこそが勝った負けた以上に、人間として生きるために重要な考え方なのだろうと、私は思います。

 

 

最後です。

 

 

「今、君に贈るよ 気に入るかな?受け取ってよ

 君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう

 一番きれいな色って何だろう? 一番光ってるものって何だろう?

 僕は抱きしめる 君がくれたGIFTを

 いつまでも胸の奥で ほら光ってんだよ 光り続けんだよ」

 

いつまでも胸の奥で光り続けるGIFTとは何でしょう?それはきっと目に見えるモノではなさそうです。ある大切な人の存在、その人がくれた言葉。それらが胸の中で輝いて、今を生きる原動力にしてくれているのでしょう。しかしそれは何か特別なものでもないと思います。何気ない会話から生まれた言葉が大きく自分を支えてくれることも多いです。「灯台下暗し」ではないですが、大切な「GIFT」も意外と自分の身近にあるものなのかもしれません。

 

以上、「GIFT」の歌詞考察を進めてきました。単なるアスリート応援ソングではなく、哲学的な言葉を含んだ、人生の応援ソングにふさわしい曲だと思います。ブログの最初に曲の動画を載せておくので、ぜひ聴いていただければと思います。

それでは今回はこのへんで。

 

 

 

Mr.Children歌詞考察 vol.6 「Mirror」

どうもみなさんこんにちは。前回の投稿から6日が経ちました。なんとかペースは保てているでしょうか。

さて、今回は「Mirror」という曲について考察したいと思います。

この曲はマイナーであまりご存じの方も多くはないと思いますが、含蓄に富んだ曲なのでぜひ最後まで読んでみてください。

 

では1番から。

 

「いつの間にやり場もなく こんな想いを抱いてた

 ありふれて使い古した 言葉を並べて

 Oh Love Love Love Love Love… Woo…」

 

これで1番は終了です。驚くべき短さですね。

Loveというありふれた言葉で表される感情を伝える術もなく抱いていた。いつしか好きになっていたというのは恋愛の常套句ともいえるものですが、そのことを指しているのでしょうか。

 

 

では2番です。

 

「窓際に腰を下ろして フォークギター鳴らしては

 風立ちぬ夕暮れの空に向け歌う

 そりゃロックでもなくポップなんてもんでもなく

 ましてヒットの兆しもない

 ただあなたへと想いを走らせた 単純明快なラブソング」

 

フォークギターというのと、夕暮れという言葉で哀愁の漂う情景がしっかりとイメージできますね。『なんてもんでもなく』という表現は、ロックやポップなどというジャンルに分類されるような格式のあるものでないからこそいいんだといった強気の姿勢が見て取れます。また、「好き」や「愛してる」といったありふれた言葉を使ったラブソングは多いものの、ストレートな想いだけを歌詞に綴った曲はなかなかないのかもしれませんね。ストレートな言葉で包まれた『単純明快なラブソング』、是非聞いてみたいものです。

 

 

では続きです。

 

「歩道に沿って 幸せそうに歩き出した恋人たちを

 羨むようにたたえるように そっと君を待っている」

 

この部分からは、主人公がかなり満たされている様子がうかがえます。というのも、仲むつまじく歩く恋人同士を『たたえる』ことは、自分に恋人がおらず、いても関係がうまくいっていなければ難しいのではないでしょうか。少なからず嫉妬心のようなものは持ってしまうと思います。主人公は羨んでもいるようですが、それは成功者が他の成功者を羨むような、余裕のある羨望であることは間違いないでしょう。

 

 

後半はまとめて見てみることにします。

 

「人前で泣いたことのない そんな強気なあなたでも

 絶望の淵に立って 迷う日もあるでしょう

 夢に架かる虹の橋 希望の光の矢 愛を包むオーロラのカーテン

 その全てが嘘っぱちに見えて 自分を見失いそうになるときは

 あなたが誰で何のために生きてるか その謎が早く解けるように

 鏡となり傍に立ちあなたを照らし続けよう

 そう思う今日この頃です」

 

悩んだり迷ったりしたときは、誰かがそばにいてくれるだけで心持ちががらっと変わりますよね。ここで挙げられている『あなたが誰で何のために生きてるか』という問いは非常に難しい悩みです。ひょっとすると一生涯かけても解決しないのかもしれない。鏡のようになって自分を支えてくれる、そんな人がいてほしいものです。しかも、普通の鏡のようにただそこに写った自分という像を反射するだけの存在ではなく、自分を忠実に写し出しつつも苦しみや迷いは吸収してくれる、優しい「鏡」であってほしいです。

 

 

以上、今回は「Mirror」という曲を考えてきました。

あなたが迷ったり悩んだりしたとき、自分が鏡のようにあなたを写し出してあげられる存在になりたい。この曲の歌詞を一言で表すならこのようなまとめになるかと思います。

 

これに加えて、私はもう少し考えたい。なぜタイトルを「鏡」でなく「Mirror」にしたのかを。単純に響きが良いからとか、字面の問題なのかもしれません。しかし私は、相手にとってより身近な存在になりたい、という意図が込められているのではないかと思います。一般的に「鏡」と言われて想像するのは、姿見や洗面台のものではありませんか?一方「Mirror」(=ミラー)と言われて想像するのは、手鏡などではないでしょうか。この両者の違いは、大きさにあると思います。大きいと必然的にスペースをとるので固定するしかない。一方小さいものは持ち運んだりできる。この曲で想定されているのは小さいもの(=ミラー)ではないでしょうか。どこに行くにもカバンの中に忍ばせておけるように、誰かの心にいつもぴったりとくっついて写し出せる、そんな存在になりたいという思いがタイトルに込められているのだと思います。

 

 

今回はマイナーな曲を選んでみました。Mr.Childrenの隠れた名曲もぜひ味わってみてください。それではまた。

 


Mr.Children Mirror

Mr.Children歌詞考察 vol.5 「CROSS ROAD」

どうもみなさんこんにちは。前回の投稿から一週間が経ちました。今後もこのペースを維持、あるいはもっと頻度を上げて更新していきたいと思います。

さて、今回の曲は「CROSS ROAD」です。これは1994年に発売されたシングルで、Mr.Childrenにとっては初めてミリオンセラーを達成した曲になります。

それでは早速考察に入っていきましょう。

 

まずは1番から。

 

「Lookin' for love 今立ち並ぶ 街の中で口ずさむ

 Ticket to ride 呆れるくらい 君へのメロディー

 遠い記憶の中にだけ 君の姿探しても

 もう戻らない でも忘れない 愛しいほほえみ」

 

この曲は全体的に、軽やかなメロディーに合わせ、巧妙に仕組まれた韻が多く使われています。この部分にも、『love(らぶ)』と『たちならぶ』、さらには、『ride(らい)』と『くらい』という2つの表現が韻を踏むという形になっています。歌詞の内容については、ここは文字通りの解釈で良いのではないでしょうか。もうそばにはいない恋人のことを思い出すと、もう戻らないけれども笑顔や仕草は今もなお輝いている、恋愛によくありそうなワンシーンです。

 

 

続きです。

 

「真冬のひまわりのように 鮮やかに揺れてる

 過ぎ去った季節に 置き忘れた時を もう一度捕まえたい」

 

この部分も言いたいことは初めと同じだと思います。相手のことが忘れられずに、また二人で過ごしたあのときに戻りたい。感情としてはシンプルなのですが、その表現は秀逸です。それは「真冬のひまわり」という点。ひまわりは夏の花なので、冬に鮮やかに咲くことはありません。従ってここは、夏にきれいに咲いていたひまわりの姿(=恋人の姿)が冬になっても更新されずそのまま残っているという情景を表しているのでしょう。相手を想って辛い様子が描かれていますね。

 

 

サビです。

 

「誰もが胸の中に 秘めた迷いの中で 手にしたぬくもりを

 それぞれに抱きしめて 新たなる道を行く

 Oh yes   Oh yes  Wuu…」

 

サビでは、今までに持っていた『あの頃に戻りたい』といった負の感情を乗り越えていこうという気概が感じられますね。私はこれは恋愛だけでなく、人生でも当てはまるところが大いにあると思います。人生の岐路に立ち、あるいは小さなことでも悩み、ある1つの選択をしようとするときには、その選択に関して世の中の全ての情報が手に入るわけではないし、誰かがそれに対して責任をとってくれるわけでもない。どうしようどうしようと迷いながらも最後は自分が信じられるものに頼って進むしかない。この「信じられるもの」が「ぬくもり」(=自分にエネルギーを与えてくれるもの)だと私は考えます。そうはいっても、なかなか自分の選んだものに自信が持てなかったりするんですよね。それも人間らしさかもしれませんが。。

 

 

2番です。

 

「誘惑に彩られた 一度だけの過ちを

 今も君は許せぬまま 暮らす毎日」

 

『一度だけの過ち』というのは、浮気のことなのでしょうか。そうではないにしても、やってしまった当の本人は、『一度だけ』という感覚なのかもしれませんが、それが取り返しのつかないことになってしまう原因にもなり得るわけですから、自身の行動にはやはり注意を払うことが大切です。

 

 

続きです。

 

「冷たい風に吹かれて 佇むMaterial World

 立ち止まるCross Road さまようWinding Road

 傷つけずには愛せない」

 

この部分では格言とも言えるフレーズが飛び出しています。「傷つけずには愛せない」というのは、まさにそうなのですが実際は忘れている、もしくは気づいていない人も多いのではないでしょうか。これは恋人同士ではなくても、例えば友人や家族でも、お互いの思っていることがずれたり、なんでもない言葉がいつの間にか相手を傷つけてしまっていたり。薄っぺらい関係をたくさん作るのはわりあい簡単だと思いますが、同じ人と深く付き合うのはとてもエネルギーを要する営みなのです。相手を傷つけたり、傷つけられたり、その経験が相手を理解するための助けとなって、本当の意味でお互いに理解し合える、愛し合える存在になっていくのだと思います。「自分は誰かのことを愛せているか?」という問いは、生涯持ち続けることになるのでしょう。

 

 

サビです。

 

「遠く思い焦がれて 張り裂けそうな夜も この手に受け止める

 つかの間の悲しみは やがて輝く未来へと

 Oh, yes   Oh, yes   Wu…」

 

ここでも人生を強く生きるための示唆に富んだフレーズがありますね。悲しみは辛いだけのものではなく、その後の成長や幸せに繋がるものだと私も思いますが、やはり悲しい状況になるとそのことは忘れてしまいます。ふとしたときに思い出せるよう、普段から強く思うことが大切なのかもしれません。

 

 

Cメロです。

 

「抱き合うたびにいつも 二人歩んだ日々の

 答えを探してきたけど

 崩れてく 音も立てずに 果たせぬままのDream」

 

世の中に答えを求めることは非常に難しいんだということを、日々痛感させられます。その上で夢を持ち続けることもまた、難しい。大人になるにつれて、かつて自分の中で持っていた夢や理想に勝手にふたをしてしまって、なかったことにする。私は自分もそうなりつつあることに気づいて焦りを感じました。だいたい自分で描く壮大な夢は、叶いそうもない、馬鹿らしく思えるものが多いと思いますが、夢をかなえることがきっと自分にとって1番理想の生き方だと思いますし、夢は追わなければ手に入りません。年をとって、音も立てずに崩れた自分の夢、というものが出ないように、一日一日をしっかりと生きていかなければならないと思います。

 

 

ラスサビです。

 

「誰もが胸の奥に 秘めた迷いの中で 手にしたぬくもりを

 それぞれに抱きしめて 新たなる道を行く

 Oh yes   Oh  yes  

 遠く思い焦がれて 張り裂けそうな夜も この手に受け止める

 つかの間の悲しみは やがて輝く未来へと

 Go away  Oh yes   Go away   Oh yes」

 

最後は1番と2番のサビをほぼくっつけたもので締められています。違う点は「Go away」という言葉が入っているところでしょうか。やはり遠くを目指してというメッセージが込められているように私は感じます。

 

以上、今回は「CROSS ROAD」という曲を考えてきました。私は最終的には人生観を表す曲として捉えてきましたが、恋愛をテーマとした曲として最後まで捉えきることもできると思います。タイトルに込められた「CROSS」という言葉。人生観や恋愛といった複数の見方ができるという点からの意味や、人生はたくさんの分岐点が集まってできていることから、その複雑に交わりあった道こそが人生だという意味の2つが含まれているのではないかと思います。人生を生きるバイブル曲として大切にしたいですね。

 

それでは今回はこのへんで。最後まで読んで頂きありがとうございました。