kimamerのブログ

Mr.Childrenの歌詞について考えるブログです。「気まま」に読んでください。

Mr.Children歌詞考察 vol.4 「Your Song」

どうもみなさんこんにちは。前回の投稿から一週間が経とうとしています。

前回は少しブラックな部分が見え隠れするラブソングを考察したので、今回は純粋なラブソングの歌詞について考えてみたいと思います。

さて、今回選んだ曲は、「Your Song」です。

これは2018年にリリースされたアルバム「重力と呼吸」の1曲目として収録されている曲です。2017年にデビュー25周年を迎えたMr.Childrenが、どんなラブソングを描いたのか。それでは歌詞を見ていきましょう。

 

 

まずは1番から。サビまでです。

 

「花吹雪が舞うような きらめく夏の日差しのような時は過ぎ

 華やいでた思い出も 少しだけ落ち着きを取り戻した

 君と僕が重ねてきた 歩んできたたくさんの日々は

 今となればこの命よりも 失いがたい宝物」

 

さっそくMr.Childrenらしい表現が飛び出していますね。花吹雪と聞いて私は桜を想像しましたが、この部分は季節で表現すると、春や夏のような明るいイメージからは離れて、心が冷やされ、冷静になる秋や冬のような落ち着きが出てきたということなのでしょうか。二人の関係において始まった頃の熱い情熱は影を潜め、一歩引いた視点から二人で過ごしてきた時間を振り返ると、いつのまにかすごく濃いものになっていた。そしてそれはもはや命よりも重い。そんな風に思えるのは、二人がしっかりと向き合ってきた証拠なのかもしれません。

 

 

サビです。

 

「ふとした瞬間に おんなじこと考えてたりして

 また時には 同じ歌を口ずさんでたりして

 そんな偶然が今日の僕には 何よりも大きな意味を持ってる

 そう 君じゃなきゃ 君じゃなきゃ」

 

サビでは何でもない日常の中に愛がうまく描かれています。同じことを考えたり、したりする、人間はそこに大きな喜びを感じるのだろうと思います。自分という人間が認められたような、そんな気がして。それは「お腹すいたな」「眠いな」という考えや、同じ歌を歌うといったくだらないものでも、いやくだらないものであるからこそ愛を感じられるのかもしれません。それは偶然なのでしょうか?確かに最初は偶然かもしれませんが、愛を深めながら共に過ごす人にとってはいつしか必然に変わるものだろう、と私は思います。

 

 

続いて2番。サビまでです。

 

「苦手意識を持ってた 食べ物もスポーツも堅苦しい場所も

 君が勧めるんなら 無理なんかせず受け入れることができたんだ

 時に僕が窮屈そうに とらわれている考え事に

 なんてことのない一言で この心を自由にしてしまう」

 

ここでもやはり愛する人の強さを感じさせられます。「やってみれば?」の一言でなぜか頑張ろうと思ってしまうんですよね。私は「納豆食べてみたら?」と言われても、受け入れられないかもしれませんが(笑)中でも勉強や仕事など、深刻だと考えている悩みを一気に解決に導く力は、本当に大きいものです。たとえ的確で具体的なアドバイスじゃなくても、適当にした返答であっても、「いいんじゃない」「大丈夫だよ」という一言で心は救われます。これも、心の奥深くで相手を信用しているからできることなのでしょう。

 

 

サビです。

 

「飛び込んでくる嫌なニュースに 心痛めて

 また時には ちっちゃなことに笑い転げて

 一緒に生きていく日々のエピソードが 特別に大きな意味を持ってる

 そう 君じゃなきゃ 君じゃなきゃ」

 

愛し合うもの同士が、互いの愛を確認するために必要なのは、派手に取り繕ったサプライズや、日常から離れた旅行なんかではない。何もない(と思える)日常に転がっている小さなイベントをたくさん共有することなんだ。そのひとつひとつは小さいけれど、集まれば大きな意味を持ち、それがやがて命よりも重い存在にもなり得る。わかっているようですが、意外と忘れてしまっているのではないでしょうか。平凡な日々に飽きてないがしろにしたり、ひたすらに新しい刺激を求めたり。「灯台下暗し」、本当の幸せは実は自分のすぐそばにあることって、多いですよね。

 

 

ラストはサビで締められます。

 

「ふとした瞬間に おんなじこと考えてたりして

 また時には 同じ歌を口ずさんでたりして

 そんな偶然が今日の僕には 何よりも大きな意味を持ってる

 そう 君じゃなきゃ 君じゃなきゃ

 そう 君じゃなきゃ 君じゃなきゃ」

 

再び日常の愛を述べて、この曲は終わります。

 

さて、今回は「愛」についての歌(=ラブソング)を考えましたが、この「Your Song」という曲については、描かれている愛は恋愛という意味のものだけでしょうか。私は、デビューから多くの月日が流れ、26年目に突入したMr.Childrenとそのファンの間で育まれた愛の意味も込められているのではないかと思います。いまや日本を代表するバンドとして名高いMr.Children。彼らの裏には、私もその一員ですが、数え切れないほどの多くのファンがいます。彼らの歌に心揺さぶられた人がいます。きっとMr.Childrenは私たちに、感謝の思いを届けてくれているのでしょう。

「そう 君じゃなきゃ 君じゃなきゃ」

これは私たちがMr.Childrenに思うだけではなく、Mr.Childrenもまた私たちに思ってくれている、そんな私の願いを記して今回は終わりにしたいと思います。

 

 

「Your Song」のライブ映像です。Mr.Childrenのメンバーが観客席に向かって微笑みかけるシーンが多くあります。それはまるで「恋人」のように。お互いの愛を伝え合う瞬間を是非見てみてください。


Mr.Children「Your Song」from Mr.Children Tour 2018-19 重力と呼吸

 

Mr.Children歌詞考察 vol.3 「himawari」(映画「君の膵臓をたべたい」とあわせて)

どうもみなさん、こんにちは。前回の投稿から一年もたってしまいました。サボり癖があることはいけないことですね、直していかなければなりません。

さて今回は、「himawari」という曲の歌詞の考察をしていきたいと思います。

この曲は2017年公開の映画「君の膵臓をたべたい」の主題歌として使われました。甘い青春を描いた映画ですが、タイトルからその不気味さがにじみ出ているように、単純な恋愛、青春映画とはなっていないようです。まだご覧になっていない方は、映画を見てからもう一度この曲を聴いて頂きたいと思います。きっとより一層歌詞の深さが感じられることでしょう。この曲が映画のタイアップを目的に作られたということから、今回は映画を見たという前提で、そのシーンになぞらえたりもしながら、考察をしていきたいと思います。

 

では、まずは1番から。

 

「優しさの死に化粧で 笑ってるように見せてる

 君の覚悟が分かりすぎるから 僕はそっと手を振るだけ

 ありがとうもさよならも 僕らにはもういらない

 『全部嘘だよ』そう言って笑う 君をまだ期待してるから」

 

まず「himawari」全体として、「僕」(演じているのは北村匠海さん)の目線から「桜良」(浜辺美波さん)に対する思いが描かれています。なので、その目線を維持しながら考察を進めていきます。

私は最初のフレーズに、映画の全体の情景が詰まっているように感じてなりません。映画の中で、病気を抱える「桜良」が「僕」に気を遣わせまいと、不安を隠しながら常に笑顔で振る舞っている、しかしその笑顔は不安を拭いきれておらず、ただそうみえるように取り繕った死に化粧のようだ。でもそれに気づいているから「僕」はあえて何も言わず手を振るだけ。映画の全体を短いフレーズで表現してしまう桜井さんはさすがの一言に尽きます。続く歌詞でも「桜良」への期待が表現されています。ありきたりな挨拶を「僕」は欲していない。病気だということ、先が長くないこと、それを嘘だと言ってくれる「桜良」こそが「僕」を救う唯一の手であり、まだそれを期待しているんだから。はかない命の尊さを考えさせられる部分でもありますね。

 

 

続いてサビ。

 

「いつも透き通るほどまっすぐに 明日へこぎ出す君を見て

 まぶしくてきれいで 苦しくなる

 暗がりで咲いてるひまわり 嵐が去ったあとの日だまり

 そんな君に僕は恋してた」

 

サビでは「僕」の「桜良」に対するストレートな思いが描かれています。「桜良」はよどんだり、影のあるところに明るさをもたらすことのできる女の子だったのでしょう。私は、このサビの醍醐味は「苦しくなる」という表現にあると思います。自分の恋人がまっすぐ未来に進もうとしている姿を見て思うことは何でしょうか?普通なら「そんな頑張れてうらやましい」「すごいなあ」「自分も頑張らなきゃ」など、プラスの感情を抱くはずで、少なくとも「苦しい」という感情ではないはずです。ではなぜ「僕」は苦しいと感じたのか。それは、自分の生き方の悲観的さに呆れたことからの苦しみ、そして何よりもこんなに輝いている人の命が長くないこと、そして「桜良」は「僕」に元気な姿を見せているけれど、ほんとは不安であることを「僕」が知ってしまっているからだと思います。2人がお互いに気を遣い合っていることが、1番の歌詞から読み取れるのではないでしょうか。

 

続いて2番のサビまで。

 

「思い出の角砂糖を 涙が溶かしちゃわぬように

 僕の命と共に尽きるように ちょっとずつ舐めて生きるから」

 

ここも秀逸な表現で、「僕」の「桜良」への思いが綴られています。大切な人との思い出を少しずつ味わっていけば、失った悲しみを最小限にできるだろう、という「僕」の多少やっつけにも感じる考えは、「桜良」の命の終わりが近づいていることへ焦りや不安の暗示なのかもしれません。

 

 

続いてサビ。

 

「だけどなぜだろう怖いもの見たさで 愛にさまよう僕もいる

 君のいない世界って どんな色をしてたろう?

 違う誰かの肌触り かっこつけたりはにかんだり

 そんな僕が果たしているのだろうか」

 

「僕」は「桜良」に気を遣ってか、恋心を抱いてはいけないと感じているのでしょう。だけどその思いは抑えられず、もはや恋をする前の自分なんて思い出せずにいる。「桜良」とは別の人と恋に落ちる自分を想像してはみるけれども、やはり考えにくい。この部分は「僕」が「桜良」に対して深い愛情を持っていることが伝わりますね。恋は盲目という言葉があるように、「僕」は今の状態しかみえていないからこんなことを思っているのかもしれませんが、恋とは、最初はそんなつもりじゃなくても知らぬ間にどっぷり相手への愛情に浸かっていた、そんなものじゃないかなと思います。「僕」もいつの間にか「桜良」の魅力に深く引き込まれていったのでしょう。

 

 

次はCメロ。

 

「諦めること 妥協すること 誰かに合わせて生きること

 考えている風でいて 実はそんなに深く考えてやしないこと

 思いを飲み込む美学と 自分を言いくるめて

 実際は面倒くさいことから 逃げるようにして邪にただ生きてる」

 

この部分は、映画と関係しているというよりはラスサビの布石と考えた方が良いのかもしれません。しかし、このように生きている人は多いのではないでしょうか?自分の理想や目標、自分らしさを失って、他人や環境に迎合するだけの生活を送り、面倒なことがあれば真っ向から立ち向かうのではなく妥協を重ねて、それを正当化して。人間は誰しも弱いものであるからこそ、強い人が目立つのです。だからといって、自分が強いものになれない保障はどこにもありません。だから我々は日々を強く生きていかなければならないのだと思います。

 

 

続いてラスサビ。

 

「だから透き通るほどまっすぐに 明日へこぎ出す君を見て

 まぶしくてきれいで 苦しくなる

 暗がりで咲いてるひまわり 嵐が去った後の日だまり

 そんな君に僕は恋してた そんな君を僕はずっと…」

 

全体は1番のサビとほぼ同じですが、違うのは冒頭の「だから」と最後の「そんな君を僕はずっと…」という部分です。「だから」の部分はCメロの部分を踏まえています。自分に強く生きられない人が多いからこそ、未来に悲観せず明るく生きる「桜良」を見て「僕」はまた苦しくなるのです。また、ラスサビで最も注目すべきは最後の部分です。「そんな君を僕はずっと」何なのか?「愛してる」なのか「忘れない」なのか。最後の解釈がリスナーに委ねられているところが、非常に面白い部分です。映画では、思いもよらないラストが待っています。きっと「僕」も心の整理がつかなかったでしょう。もしかしたら、そんな「僕」の気持ちの揺れ動きを「…」で表現したのかもしれませんね。

 

以上、「himawari」の歌詞考察を行ってきました。映画のタイアップ曲とはいえ、愛とは何かを考えさせられるナンバーになっているのではないでしょうか。是非映画も見て、曲もたくさん聴いて頂ければと思います。それでは今日はこのへんで。

 


Mr.Children「himawari」from TOUR 2017 Thanksgiving 25

 

 

Mr.Children歌詞考察 vol.2 「HANABI」

どうもみなさん、こんにちは。kimamerです。前回の投稿からかなり時間がたってしまいましたが、今回も歌詞の考察をやっていきたいと思います。

 

第2回目となる今回のテーマとなる曲は、、

HANABIです!!

 

この曲は一昨年に夏に映画化された「コードブルー ードクターヘリ緊急救命ー」シリーズの主題歌でありました。なのでご存じの方もかなり多いのではないでしょうか?

さて、早速ですが曲について話していきたいと思います。

まずはタイトルについてですね。「HANABI」とアルファベット表記されているのは、ここに複数の意味が隠されているからなのだそうです。すなわちここには「花火」という意味と「離日」という意味のふたつが表現されています。この両者の関係は、曲の中でどんな風に描かれているのでしょう?

 

では、歌詞の考察に入っていきたいと思います。

 

まずは1番のAメロ。

「どれくらいの値打ちがあるだろう? 僕が今生きてるこの世界に

 全てが無意味だって思える ちょっと疲れてんのかなあ

 手に入れたものと引き替えにして 切り捨てたいくつもの輝き

 いちいち憂いていれるほど 平和な世の中じゃないし」

 

これは今生きている世界に不満を持っている人の嘆きでしょうか。自分のしている仕事や役割がいったい何のためのものなのか、もしや意味のないことなのか、そう疑問に思うことはあると思います。さらに、安定を持ったサラリーマンはたとえば芸能人のような派手な人生を送りたいと思うかもしれません。でもきっと逆もそうで、羨望の対象にされた人たちは穏便な生活を送りたいと思っているはずです。いわゆる無い物ねだりですね。でも、疲れを言い訳にして考えないようにしようとしているところに、まだ確信が持てていない様子が見て取れますね。

 

次に、1番Bメロ。

「一体どんな理想を描いたらいい? どんな希望を抱き進んだらいい?

 答えようもないその問いかけは 日常に葬られてく

 君がいたらなんていうかなあ 『暗い』と茶化して笑うのかなあ

 その柔らかな笑顔に触れて 僕の憂鬱が吹き飛んだら良いのに」

 

やはり現状に満足できず、新たな道を探すも、忙しい毎日の中でまたいつしか考えるのをやめてしまいます。ずっと考え続けられる人が成功をつかむんでしょうね。僕はそうありたいと思ってはいますが、それでもやはりまだまだだと思います。そんなときに思い出す「君」。きっと大切な人なんでしょう。気むずかしく考えるなよ、と一言言ってくれる人がいることはすぐそばにいそうでいてなかなかいないんですよね。

 

続いて1番サビ。

「決して捕まえることのできない 花火のような光だとしたって

 もう一回もう一回 もう一回もう一回 僕はこの手を伸ばしたい

 誰も皆悲しみを抱いてる だけど素敵な明日を願っている

 臆病風に吹かれて波風が立った世界を どれだけ愛することができるだろう」

 

この部分はAメロ、Bメロのもやもやした思いを解決にぐっと導く大きなヒントを与えていると思います。それは上記の下線部分です。この世には無意味なこと、無意味な生はありません。必ず誰もが生きるための使命を持って、何かに取り組む、それが我々の日常であるはずです。でも人生はうまくいくことばかりではない。悔しいこと、つらいこと、そういう悲しみを経験して強くなり、今日よりちょっとでもいい明日を作ろうと頑張るのです。こう考えると、人生の応援ソングのようにも見えてきましたね。

 

続いて2番にいきましょう。ここからは日常について歌った1番とはがらっとテイストが変わります。ここではそれが如実にわかるサビからみていきます。

「さよならが迎えに来ること 最初からわかっていたとしたって

 もう一回もう一回 もう一回もう一回 何度でも君に逢いたい

 巡り会えたことでこんなに 世界が美しく見えるなんて

 想像さえもしていない 単純だって笑うかい? 君に心からありがとうを言うよ」

 

この歌詞を見る限り、ラブソングに変身してしまったようですね。それも、どうやら別れてしまった後のようです。この部分では、大切な人への愛情をただストレートに伝えているように見えますが、どうやらそれに至るまでには葛藤があったようです。

 

それがわかるのが、2番のAメロとBメロ。

「考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い

 でも妙に器用に立ち振る舞う 自分はそれ以上に嫌い

 笑っていても 泣いて過ごしても 平等に時は流れる

 未来が僕らを呼んでる その声は今君にも届いていますか」

 

この部分について、この曲が医療関係にドラマの主題歌であったことも考えると、愛する人の死による別れの描写ではないかと考えます。すなわち、相手が生きているとき、一緒にいられる時間が有限であることはわかっていながらも、思っていることを素直にいえなかったり、妙に平気なふりをしてみたり。時には相手とすれ違うこともあったり。「未来からの声=死がやってくるという知らせ」は自分には聞こえているからこそ、君にも聞こえているなら互いに素直になってもっと時間を有意義に使いたいなあという気持ちが反映されているのではないでしょうか。しかし、やがて別れはやってくる。終わってから、実際に起こってから気づくことというのは普段の生活においても多々ありますが、サビでは愛する人を失った後に気づいた自分の本心が、自らの悔恨の念を表現しつつ、描かれていると思います。

 

続いてCメロ。

「滞らないように 揺れて流れて

 透き通ってく水のような 心であれたら」

 

この部分は、桜井さんが飼っていた金魚の水槽の中の水が循環している様子を見て思いついたそうですが、まさにそれと同じように、悲しみ、苦しみを誰もが抱える日々の中で、楽しみを見つけてまた新たな気持ちでスタートできる、そんな習慣があれば人生はもっと豊かになるのになあと思います。

 

そしてラスサビ。

「逢いたくなったときのぶんまで 寂しくなったときのぶんまで

 もう一回もう一回 もう一回もう一回 君を強く焼き付けたい

 誰も皆問題を抱えている だけど素敵な明日を願っている

 臆病風に吹かれて波風が立った世界を どれだけ愛することができるだろう

 もう一回もう一回 もう一回もう一回」

 

という風に、1番と2番のサビをくっつけたような感じでこの曲は締められています。

最後に、この曲のタイトル「HANABI」について「花火」と「離日」のふたつの意味が内包されていると冒頭で述べましたが、両者にどんな関わりがあったでしょうか。

1番では、今の自分と離れる日(=決別する日)は今すぐにでも作り出せる、というメッセージが隠れていると思います。その、今すぐに、ということを花火が爆発する一瞬になぞらえて、それぐらいの爆発力を持てば不満な今と決別できるぞ、という内容ではないかと考えています。

2番では、愛する人と離れる日は案外すぐに来てしまうものであり、そのはかなさを花火が散りゆく様子になぞらえたのではないでしょうか。今は当たり前のように話している人でも、極端な話、明日、今と同じように話せるとは限らない。今一緒にいられる時間を大事にしなさい、という内容ではないかと考えています。

 

以上、今回は「HANABI」の考察を行ってきました。非常に奥深い歌詞でしたね。

では今回はこの辺で。また次回もご期待ください。

長文読んでいただきありがとうございました。

Mr.Children歌詞考察 「しるし」

みなさんこんばんは。前回の更新から2日がたってしまいましたが今回から歌詞の考察を始めて行きたいと思います!!

まず第一回目は「しるし」です!

この曲は数あるミスチルの曲の中でも私が一番と言って良いほど好きな曲であり、なおかつ有名な曲でもあります。

「しるし」は2007年にリリースされ、志田未来さん主演の「14才の母」のエンディング曲として採用されました。桜井さんが、恋愛が順調なときの高揚感や別れを迎えたときの悲しさなどの両サイドの気持ちを表現する曲にしたかった、とおっしゃっているように、短調系のしっとりとしたメロディーの中に、恋愛において喜びと悲しみは紙一重であるといわんばかりの、両局面をうまく描いた歌詞で構成されているように感じます。

それでは、歌詞の方を見ていきましょう。

 

まず最初は1番。

 

「最初からこうなることが 決まってたみたいに

 違うテンポで刻む 鼓動を互いが聞いてる

 どんな言葉を選んでも どこか嘘っぽいんだ

 左脳に書いた手紙 ぐちゃぐちゃに丸めて捨てる」

最初からどうなることが決まってたんでしょうか?それはきっと、良かれ悪かれ、違う価値観、生活スタイル、環境で育ってきた相手と一緒に時間を過ごしていくにあたって「色々合わない部分が見えてくる」と言うことだと思います。でも離れるのは違うし、相手のことが好きだから、そのことをうまく傷つけないように伝えようとするけれども、やはり言葉では表現できない(左脳は言語能力を司る)。それならいっそ、相手に合わせてしまおう、と相手を注意深く見てしまう。そんな経験ないでしょうか。恋人同士の二人にとってはじめはこんなものなのかもしれないですね。

 

続いて1サビ。抜粋します。

 

「半信半疑=傷つかないための予防線を

 今、微妙なニュアンスで 君は示そうとしている」

これは恋愛初期の状態を表していると思います。やはり付き合って間もない男女は互いに予防線を張ってしまうのかもしれません。ちなみにサビでは「ダーリンダーリン」と「半信半疑」で韻を踏んでいます。こういった言葉遊びがちりばめられているのもミスチルの歌詞の特徴ですね。

 

続いて2番。まずはAメロ。

 

「めんどくさいって思うぐらいに まじめに向き合っていた

 軽はずみだった自分を うらやましくなるほどに」

恋愛は、始まりはなんてことのない理由からだと思います。男性目線からだと、かわいいからとか、話してて楽しいからとか、あるいはもっとひねくれたもので言えばあの子と付き合えば周りから羨まれるかも?なんて不純な理由もあるかもしれません。しかし実際に付き合ってみると自分と相手の価値観や生活の違いが見えてきて、良い意味でも悪い意味でも相手の「魅力」に引き込まれていき、時には世界が明るく見えたり、時には落ち込んで悲しんだりということもあるでしょう。でもそんな気分になるのは相手にまじめに向き合っているからであり、昔の自分と比べると進歩しているのだと思います。だけど場合によっては自分が抱く様々な思いは、信じている相手に届いてほしくないこともあると思います。それもまた、相手を想うからであり、愛すことの難しさを感じさせられます。

 

続いて2サビ。ここで触れたいのは下記のフレーズ。

「カレンダーに記入したいくつもの記念日より

 小刻みに 鮮明に 僕の記憶を埋め尽くす」

恋人との思い出は心にとどめておく方がいいというのは皆がわかっていることではあると思いますが、その情景を「小刻み」かつ「鮮明」と描写した部分が秀逸だと思います。良い思い出や悪い思い出、そのひとつひとつの体験が恋人への気持ちを募らせる。これは、比較的うまくいっているときの心情なんでしょうか。

 

いよいよラスト。

 

「ダーリンダーリン いろんな角度から君を見てきた

 ともに生きれない日が来たって どうせ愛してしまうと思うんだ

 ダーリンダーリン Oh My Darling

 狂おしく 鮮明に 僕の記憶を埋め尽くす

 ダーリンダーリン…」

 

ここは「しるし」という曲の良さがあふれんばかりに詰め込まれた部分だと思います。桜井さんは、「アーティストとしてはここで『どうせ』という言葉を選択できたことがうまくいったポイントだと思う」とおっしゃられていますが、まさにお見事の一言に尽きます。相手のことが情熱的に好きなときでも、どうもうまくはいってないときでも、いずれ死んでもまた「どうせ」愛してしまう、これこそが相手を好きだとういこと、相手を愛するということなのだと思います。続いての「ダーリンダーリン」は相手への情熱をしっかり伝えるようにはっきりと歌われていますが、最後のそれはどこか哀愁が漂うような感じで歌われており、繊細な気持ちを伝えているように感じました。「愛」とは本当に難しいものです。私はまだそんな経験はしたことがありませんが、いつかそう思える人に出会えるのでしょうか。

 

以上、今回は「しるし」の解釈および考察をしていきました。

人間の本質ともいえるような内容だったと思います。

では、今回はこの辺で。読んでいただきありがとうございました。

Mr.Childrenとわたし

みなさんこんにちは。初めまして。

kimamerと申します。

この名前をつけた理由は単純で、自分が「気ままな人」であるということと、「気まま」にブログを更新していきたいということ、それから読者の皆さんにも私の記事を「気まま」に解釈してほしい、ということです。

拙い文章ではあるかもしれませんがのんびりと読んでいただけたらなあなんて思っております。

さて、ではそろそろ本題へ。

今回のタイトルは「Mr.Childrenとわたし」。このブログではMr.Children(以下、ミスチル)の曲を聴いて私なりに感じたことを書いていこうと思っています。

ではなぜミスチルか。ミスチルは2017年にデビュー25周年を迎えました。私は20代なので、いわゆるミスチル世代ではありません。でも、今まで生きてきて様々な局面に出くわしたとき、いつもそばにあったのはミスチルの曲でした。つらいときは励まされたり、漠然と悩んでいるときは、解消への新たな視点を与えてもらったり、さらにはなんでもないいつも通りの風景が違って見えたり。

私はミスチルからいろいろなことを学び、感じて生活しています。そんなミスチルのすごさ、自分だけで感じておくのはもったいないような気がしてこのブログを始めました。毎回1曲、紹介していけたらなと思っているので、どうぞよろしくお願いいたします。

今回の締めは、ミスチルの基本情報を書くことにします。

メンバー:桜井和寿(Vo. Gt.) 田原健一(Gt.) 中川敬輔(Ba.) 鈴木英哉(Dr.)

総曲数:200曲あまり

その他:「innocent world」日本有線大賞、日本レコード大賞 受賞

    「Sign日本レコード大賞 受賞

    CD売上げランキング

     1位「Tommorow never knows」 276万枚

     2位「名もなき詩」 230万枚

     3位「innocent world」193万枚

    ほかにもドラマ、映画、CM等タイアップ曲多数